等待戈多(日语介绍) —— 求翻译
今年も、明日の大(おお)晦日(みそか)を残すのみとなった。一年を顧みながら、近づく新しい年の足音に耳を澄ます。どんな年が来ようとしているのか。歳末のあわただしさやざわめきの中に居つつ、何かを待つことが身にしみる時節だ。
「田舎道。一本の木。夕暮れ」。そんな舞台の上で、二人の男が「ゴドー」なる者を待つ。アイルランド出身のノーベル賞作家サミュエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」の始まりの場面だ。
いつまで待っても、ゴドーは現れない。そして、二人はこう言い合う。「じゃあ、行くか?」「ああ、行こう」。二人は、動かない——幕(安堂信也、高橋康也訳『ベケット戯曲全集』白水社)。二人は、動かないのではなく、動けないのかも知れない。それは、閉塞(へいそく)感が濃く漂う時代や、そこで営まれる人々の生や孤独といったものを示すようにも思われる。
パリでの初演から半世紀余りになる。ひたすら待ち続けるだけという、それまでの作劇法を否定する手法は衝撃的で、「不条理演劇」の代表作として世界で広く演じられてきた。
今年は、ベケットの生誕100年にあたっていた。ダブリン近郊の生まれだが、彼は、母親の胎内にいたころの、誕生前の記憶があると公言していたという(『ベケット伝』白水社)。あの三島由紀夫は、生まれた直後の、産湯を使ったときのことを覚えていると言っていたというが、天才の世界とは限りの無いものらしい。
間もなく、新しい年が生まれようとしている。ゴドーとは違って、それは確実にやって来る。